5/7 荒川区役所訪問 ~GAHから考える幸福の性質~


5月7日に荒川区役所を訪問して主にGAH(Gross Arakawa Hapiness)を中心にお話を伺ってまいりましたのでご報告致します。

 まずはじめに、GAHの背景と目的を簡単に述べさせていただこうと思います。
 戦後日本は他国に類を見ない圧倒的な経済成長に伴い、生活水準の向上を果たした一方で、環境問題や健康問題、都市人口の増加による農村コミュニティの減衰、熾烈な経済競争がもたらした格差の拡大など、様々な社会問題に見舞われました。そうした中で、政策の方向性は、従来の「経済的な豊かさ」のみならず「人の幸福」に着眼したものであるべきだという要請がなされました。そこで荒川区ブータンのGNHなどから着想のヒントを得て、GAHを提唱したのであります。GAHプロジェクトの目的は単なる経済的指標にとって代わる区民幸福度を測定する指標を作成し、それを分析・活用することで最終的に区民の幸福実感度の向上を目指すことにあります。

 次にGAHの概要の説明に移りたいと思います。
 GAHでは「幸福実感度」を頂点に据えて、そこから派生する6つの領域を「健康・福祉指標」「子育て・教育指標」「産業指標」「環境指標」「文化指標」「安全・安心指標」と定めて構成されています。それぞれ領域に合わせて46個の「幸福実感指標」を策定し、各設問に対して1から5の5段階で評価します。こうしたアンケートを無作為に抽出した市民を対象に実施し、回収して集計します。その結果を調査・分析することで、「区民幸福度の向上」という方向性で、行政の運営に活かしていくことが可能になるのであります。

 続いて、GAHの具体的な働きをご紹介します。
 平成25年度に行われた実際の調査では、20代男性が最も低い"幸福実感度"(20代2.91/平均値3.42)を示していました。そこで、各領域を指標を見ていきますと、「健康・福祉指標」で20代男性は全ての設問で平均より低い数値を示していたほか、「産業指標」では"生活の安定"(2.42/2.47)では平均値とほぼ同じ一方で、"ワーク・ライフ・バランス"(2.39/2.96)や、「文化指標」の"地域の人との交流の充実"(2.09/2.71)などが平均値を大きく下回っていることが分かったのです。こうした結果をもとに、荒川区では経済的な側面より、健康の充実や人とのつながりの充実などを総合的に支援できる方策がないか議論を重ねているということです。もっとも、翌26年度の調査では必ずしも20代男性が低い幸福実感度を示しているわけではないため、GAHプロジェクトとしては、アンケートの調査方法などを含めまだ検証段階にあると考えるべきだとは思います。このように、GAHそれ自体はそれが直接的に幸福度に影響する類のものではなく、あくまで問題発見のツールとしての役割が強いことに留意したいと思います。
 そうは言うものの、こうした現状を踏まえて、荒川区では特筆すべき「運動」が行われ始めています。例えば、「安全・安心指標」では"災害時に近隣の人と助け合う関係があると感じるか"という設問に対して主に20代から30代が災害時の協力関係の有無に低い実感を示しており、こうした分析を受けて、全ての区立中学で「防災部」を設立し、若年層に防災意識を促そうとする取り組みなどが始まっております。

 最後に、今後のGAHプロジェクトの目下の課題と今後の方向性について簡単にご紹介します。
 ここで述べることは、あくまで行政側の意見であることを念頭に置いてご理解ください。まずは、職員のGAH指標活用意識の向上が差し迫った課題であるようです。これはそもそもGAHが職員に浸透しなければ具体的かつ有効な取り組みには繋がりにくいためであります。また、GAH指標を活用した政策立案や改善事例を増加させることで指標の有効性を証明することも求められるでしょう。これらを通じて指標の再検証や精度の向上を図り、より効果のある指標活用手法の開発を目指すということです。そして、最終的には目に見える形で区民の幸福実感度の向上を実現させることにGAHプロジェクトの目的があるのです。

 GAHプロジェクトの真に先鋭的な点はGDPやGNPのような現代社会を支配する既存価値観(パラダイム)からの脱却に留まらず、これらに取って代わるような新たに体系化された指標を構築しようとする取り組みにあると思うのです。「幸福度」に注目した社会の在り方を模索する動きには、今後とも目が離せません。


(記:大野哲弥)


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(以下駄文)

【幸福の多層性】について
GAHは「幸福実感度」を頂点に据えて、これを構成する領域を並列的に配置していたが、職員の話を聞いてふと気になったことがあるのでしばし述べさせて頂こうと思う。(尚、以下の文はなんらかの科学的見地に明確に基づいているわけでもなく、あくまでこの文章の書き手の個人的かつ極めて主観的な意見であることを留意されたし。)

 荒川区の職員の話では「幸福実感度」は「健康・福祉指標」を筆頭に、次いで「安全・安心指標」が強い相関を持ち、逆に「文化」や「環境」はさほど寄与しないという話ではあったが、ここでふと、マズロー欲求段階説を想起してみた。人間の欲求は下層から、生理的欲求(=健康・福祉)、安全の欲求(=安全・安心)、所属と愛の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求(=文化や学問の領域)と成っており下層にある欲求ほど、GAHにおける幸福実感度との相関が強いことがうかがえる。このように一見した所ではあるが、幸福実感度の領域とこの欲求段階説がなんらかの関係も持っているのではないかと思った。
 そこで私は欲求段階説の多層性に着目してみることにした。すなわち、「幸福」はマズロー欲求段階説に従って「層的」に積み上げられていく側面があるのではないか、ということである。これは簡単に想起することができると思うのだが、健康ではない状態で家族や恋人に気持ち良く会ったり、趣味にうちこむことは可能であろうか。幸福状態になれるだろうか。否。肉体の苦痛は何をするにもついてまわるため、何よりも解決すべきは肉体の健全性なのである。これは感覚的に理解できることだと思う。つまりは、肉体の健全性という「幸福」が達成されたうえで、ようやく次の段階にある「幸福」に手を延ばすことができるのではないだろうか。これが真であるならば、"優先すべき"幸福の領域は自ずと立ち現れてくる。それはあらゆる欲求を達成するための礎となる「生理的欲求」に位置する「健康(福祉)」の領域である。兎にも角にも、まず第一に「健康」状態を獲得することがそのほかの「幸福」に至るための必要不可欠な条件なのではないのか。
 それはさておき、もしもマズロー欲求段階説に従って幸福が「層的」に獲得されていくのであれば、人類が究極的に追い求める幸福(そんなものがあるかどうかは定かではないが)は、この欲求ヒエラルキーの頂点に位置する「自己実現の欲求」にあるのではないかと考えた。そして我々はこの「自己実現」のことを往々にして「夢」と呼称しているではないか。……そういえば、と私が思い出すのは、幼きころに「夢」と呼んでいたものである。特撮ヒーローのギンガマンにはじまり、パイロットに電車運転士、プロ野球選手になりたい、などと思っていた時期もあっただろうか。あの頃は確かに毎日が幸せで、怖いことと言ったら門限を過ぎて帰宅する時ぐらいだったものだ。それはきっと無限の可能性を感じていたからである。それが今となっては己の限界を知り、狭まった可能性の中で現実と向き合うことを余儀なくされている。だが、悲観することはない。本質は、宇宙飛行士だの芸能人だのその肩書きにあるのではないと思うのだ。「夢」という概念そのもの、さらに言えば「目標」に向かって「努力」する瞬間にあるのだ。私は、なにも「夢」などとたいそうに呼ばなくても、「目標」に向かう活動(特に知的探究活動)に他の欲求(食欲や肉欲や承認欲)とは異なる一線を画した幸福感というか至福感を見出すことができるように思うのだが、どうであろうか。そうであるならば、「夢」や「目標」を持つことは「幸福」になるためにはあながち間違っていない、ということにはならないだろうか。(もっとも、「夢」という究極目標に至るためには前述した段階欲求を満たすことがあろうが……)

 私は幸福の性質を「点」的なものとして認識していたが、実は我々が幸福と呼ぶものの多くは「層」的に積み上げられた上にあるものであるのではないか。要は、「幸福は層的に構成されている」のではないか、ということが言いたかっただけである。
 折角なので、それでは最後に、この欲求段階説に従った私の幸福プランニングを発表しようと思う。
 私が提示する幸福状態とは…まず「健康」であり、「治安の良い」国や地域に住み、「家族」の一員として相互愛を享受し、社会的に成功して一定の「地位」をおさめ、「夢」を持っている人間になることである。これを参考にぜひ幸福を掴んで下され。