5/14 グループ発表①

 今週より広井ゼミでは、「人間科学チーム」「国際チーム」「社会構想・地域再生チーム」の3チームに分かれ、各自が自由に設定したテーマをもとにプレゼンテーションを行っていく。

 今回第1回目の発表は、「人間科学チーム」が担当した。テーマはそれぞれ「幸せを心理学から考える」「幸せを見つけ出す」「コミュニティの変遷」「人間と動物の違い」「幸福感と心の豊かさ」である。以下、要約である。

 

  • 幸せを心理学から考える

・幸福=快楽か?

 快楽や喜びの瞬間が多い人生=幸福 (カーネマン)

 「経験マシーン」(ロバート・ノージック他)

 自己実現や対人資源なども必要だと提唱(キャロル・リフ他)

・幸せはどうやって測るか

 通説:主観的ウェルビーイング…個人の感情・価値観に応じて判断される人生の満足度

・幸せの構造分析

トップダウン…人生の満足度・幸福は性格特性(社交性、神経症傾向、同調性、善良さ、開放性etc)によって規定される

 →特に社交性が高い人は幸福感が高く、神経症傾向が高い人は幸福度が低い(デネーブ・クーパー他)

 →性格特性は遺伝要因と非共有環境の複雑な環境により形成

ボトムアップ…さまざまな領域における満足度が人生全体の満足度を規定する(出来事、友人関係、経済、結婚、運etc)

 出来事…短期的影響はあるが、長期的には心理的免疫によって回復する?

 友人関係…相関はあるが個人差・文化差がある

 

〈議論と考察〉

・私たちが幸福にアプローチできる部分は発達段階における関わり方ではないか。

・全員精神衛生上健康な状態で、かつ十分に時間を取り愛情を持って子供を育てることで幸せの獲得に大きな影響を与えられるのではないか。

・人間がよりよく生きるためにつくられる経済や社会がかえって人間が幸福に生きるそのものの仕組みを阻害しているのではないか。

 

  • 幸せを見つけ出す

○感情が生まれるメカニズム

 感情導出の仕組み(刺激の知覚→大脳辺縁系が刺激検出→行動選択・制御→感情発動・身体反応)

・基本感情理論(エクマン他)…感情はプログラム化されたもの

・構成要素理論(シェーラー他)…感情は生態的反応の組み合わせにより規定

・社会構成理論(エイブリル他)…感情は社会的・文化的要素のみによって規定

○脳が幸せを感じるメカニズム

・幸福感=報酬入力に基づいて発生する情動反応の結果

・無意識のうちに行われているため気づかないこともある

○幸福の種類

・自然発生的幸福(欲求を満たした時の幸福)と人工的幸福(捉え方次第で生まれる幸福)

○社会的地位と幸福度

・お金があればあるほど幸せなのか?ハーバード大学生は幸せなのか?

 

〈議論と考察〉

・幸福の価値とは何であろうか?

・幸福とは目指すべき価値なのであろうか?

・無意識のうちに感じられる幸せがあるのであれば測定不可能ではないか。

・アンケート調査を行う意味とは?

 

  • コミュニティの変遷

 戦後の日本社会では「カイシャ」「家族」という閉鎖性の強いコミュニティが形成されてきた。経済成長が「幸福」に直結しなくなってきた今、「関係性」「コミュニティ」のあり方が流動化・多様化してきている。

・「コミュニティ感覚」という考え方

 …メンバーシップ・影響力・ニーズの統合と充足・情緒的つながりの共有

マズロー欲求段階説について

 物質的欲求の先にあるのは精神的欲求であり、他者を必要とする欲求を満たすのはコミュニティか?

 

 個人化が進む時代だからこそ、より選択的・自発的・意欲的なコミュニティを形成していくことで、個性が活きる持続的なコミュニティを生み出し、さらにコミュニティへの帰属感が増してアイデンティティの位置づけにもなるのではないか。

 

〈議論と考察〉

マズロー欲求段階説は正しいのであろうか?

・「都市型コミュニティ」と「農村型コミュニティ」両方のバランスが必要。

 

  • 人間と動物の違いについて

 アリストテレスは、生物と無生物の違いを「心」(プシュケー)があるかないかとした。そして、植物のプシュケーは栄養性、動物のプシュケーは感覚性、人のプシュケーは理性と定めた。

 マズローは、人間は自己実現に向かって絶えず成長するものであると仮定し、人間の欲求を、1.生理的欲求、2.安全の欲求、3.所属と愛の欲求、4.承認(尊重)の欲求、5.自己実現の欲求の5段階で定義した。人間と動物の違いは自己実現の欲求を満たせるかどうかで考えることができる。しかし、どこまで満たされると満足するのかは疑問である。

 さらに、人間の社会をサルの社会から見ると、家族というものはヒトに特有のものであり、父親が子育てに加わるかどうかという視点は人間社会の特異性を語る上で重要である。

 そして、人間は自然淘汰から家畜同様自らを保護してきたために、形が変わり、家畜同様になっているという、自己家畜化現象を迎えているという。文明化を成し遂げた人間は、人口過剰、自然破壊、競争の激化、感性・情熱の委縮、遺伝的脆弱、伝統の崩壊、教化、軍拡・核兵器という8つの大罪を犯している。

 利益や機能を求める組織・共同体、あるいは地縁や血縁、情緒的なものからなる組織・共同体のどちらがよいのであろうか、またヒトとしての立場をどこに定めればよいのであろうか。

 

〈議論と考察〉

アリストテレスは目指すものは「幸福」とし、よく生きることを「徳」とした。

・物質的豊かさが限界に達すると幸福とは何かについて考えるようになる。

 ←古代ギリシャ時代もある程度の物質的豊かさが達成された時代であった。

・コミュニタリアリズムとリベラリズム、共と個、ゲマインシャフトゲゼルシャフト、農村と都市といった二者択一ではなく、両方を重視することが必要である。

・人間には認識可能範囲があり、その範囲内での幸福度の推移が各自の幸福度の判断材料となる。

・ある状況に慣れるともっと幸福を求めていく。幸福は一種の麻薬か?

・人間は未来だけでなく、過去を振り返ることでも幸福になることができる。

 

  • 幸福感と「心の豊かさ」

 物質的欲求が満たされてきたために、心の豊かさを求める人の割合が高くなってきている。そして、心の豊かさが生活満足度に与える影響も大きくなってきている。

・幸福の測り方=主観的幸福(主観的ウェルビーイング

 →認知、記憶が関わる部分については適している。

・「シャイネス shyness」 が主観的幸福に与える影響

 シャイネス…対人不安感、対人消極などの要素からなる、人との関わりを避ける傾向。人生満足感が低くなり、否定的感情の増幅、肯定的感情の減退を招く。

・対人関係ネットワークと主観的幸福の関係

 他者との関係が良好であるほど高い主観的幸福度を示す傾向あり。

どのような構造か?

→対人関係ネットワーク…ノード数(ネットワーク規模)、親密性、アクセス頻度、多様性

具体的にはどのようなものか?

→親密で多様な交友関係、他社への信頼意識・協力態度、友人との会合、家族との食事、組織や団体との関わり、余暇活動、ボランティアや慈善行為、仕事における経営者への信頼度etc

 

〈議論と考察〉

・社会活動に参加するから幸せになるのか?それとも、幸せだから積極的に活動していこうとするのか?

・客観的幸福(生理学的指標に基づく)より主観的幸福を突き詰めることの意味とは何か?

 

 

まとめ

 今回の発表では、「幸福」について、心理学的視点からの考察や幸せの構造分析、幸福感と心の豊かさ、コミュニティの変遷とつながりの重要性、人間と動物の違いなど、根本的なトピックが取り上げられ、深いレベルでの議論ができた。幸福度とマズロー欲求段階説の関係を取り上げた際には、この説を疑ってみたり、幸福度の調査結果についても批判的目を向けたりと、目の前の事実を様々な視点から考察することで、より深く理解することができたに違いない。

 幸せとは何なのか?望ましい社会像とはどのようなものか?もちろんそれには個人差がある。しかし、漠然としたイメージを抱くだけでなく、ある程度の道筋が示されることで、より大きな幸福を手に入れ、よりよい社会を創出していく手助けになるのではないだろうか。

 

 次回は「国際チーム」の発表である。

 

(記:郡川駿佑)

5/7 荒川区役所訪問 ~GAHから考える幸福の性質~


5月7日に荒川区役所を訪問して主にGAH(Gross Arakawa Hapiness)を中心にお話を伺ってまいりましたのでご報告致します。

 まずはじめに、GAHの背景と目的を簡単に述べさせていただこうと思います。
 戦後日本は他国に類を見ない圧倒的な経済成長に伴い、生活水準の向上を果たした一方で、環境問題や健康問題、都市人口の増加による農村コミュニティの減衰、熾烈な経済競争がもたらした格差の拡大など、様々な社会問題に見舞われました。そうした中で、政策の方向性は、従来の「経済的な豊かさ」のみならず「人の幸福」に着眼したものであるべきだという要請がなされました。そこで荒川区ブータンのGNHなどから着想のヒントを得て、GAHを提唱したのであります。GAHプロジェクトの目的は単なる経済的指標にとって代わる区民幸福度を測定する指標を作成し、それを分析・活用することで最終的に区民の幸福実感度の向上を目指すことにあります。

 次にGAHの概要の説明に移りたいと思います。
 GAHでは「幸福実感度」を頂点に据えて、そこから派生する6つの領域を「健康・福祉指標」「子育て・教育指標」「産業指標」「環境指標」「文化指標」「安全・安心指標」と定めて構成されています。それぞれ領域に合わせて46個の「幸福実感指標」を策定し、各設問に対して1から5の5段階で評価します。こうしたアンケートを無作為に抽出した市民を対象に実施し、回収して集計します。その結果を調査・分析することで、「区民幸福度の向上」という方向性で、行政の運営に活かしていくことが可能になるのであります。

 続いて、GAHの具体的な働きをご紹介します。
 平成25年度に行われた実際の調査では、20代男性が最も低い"幸福実感度"(20代2.91/平均値3.42)を示していました。そこで、各領域を指標を見ていきますと、「健康・福祉指標」で20代男性は全ての設問で平均より低い数値を示していたほか、「産業指標」では"生活の安定"(2.42/2.47)では平均値とほぼ同じ一方で、"ワーク・ライフ・バランス"(2.39/2.96)や、「文化指標」の"地域の人との交流の充実"(2.09/2.71)などが平均値を大きく下回っていることが分かったのです。こうした結果をもとに、荒川区では経済的な側面より、健康の充実や人とのつながりの充実などを総合的に支援できる方策がないか議論を重ねているということです。もっとも、翌26年度の調査では必ずしも20代男性が低い幸福実感度を示しているわけではないため、GAHプロジェクトとしては、アンケートの調査方法などを含めまだ検証段階にあると考えるべきだとは思います。このように、GAHそれ自体はそれが直接的に幸福度に影響する類のものではなく、あくまで問題発見のツールとしての役割が強いことに留意したいと思います。
 そうは言うものの、こうした現状を踏まえて、荒川区では特筆すべき「運動」が行われ始めています。例えば、「安全・安心指標」では"災害時に近隣の人と助け合う関係があると感じるか"という設問に対して主に20代から30代が災害時の協力関係の有無に低い実感を示しており、こうした分析を受けて、全ての区立中学で「防災部」を設立し、若年層に防災意識を促そうとする取り組みなどが始まっております。

 最後に、今後のGAHプロジェクトの目下の課題と今後の方向性について簡単にご紹介します。
 ここで述べることは、あくまで行政側の意見であることを念頭に置いてご理解ください。まずは、職員のGAH指標活用意識の向上が差し迫った課題であるようです。これはそもそもGAHが職員に浸透しなければ具体的かつ有効な取り組みには繋がりにくいためであります。また、GAH指標を活用した政策立案や改善事例を増加させることで指標の有効性を証明することも求められるでしょう。これらを通じて指標の再検証や精度の向上を図り、より効果のある指標活用手法の開発を目指すということです。そして、最終的には目に見える形で区民の幸福実感度の向上を実現させることにGAHプロジェクトの目的があるのです。

 GAHプロジェクトの真に先鋭的な点はGDPやGNPのような現代社会を支配する既存価値観(パラダイム)からの脱却に留まらず、これらに取って代わるような新たに体系化された指標を構築しようとする取り組みにあると思うのです。「幸福度」に注目した社会の在り方を模索する動きには、今後とも目が離せません。


(記:大野哲弥)


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(以下駄文)

【幸福の多層性】について
GAHは「幸福実感度」を頂点に据えて、これを構成する領域を並列的に配置していたが、職員の話を聞いてふと気になったことがあるのでしばし述べさせて頂こうと思う。(尚、以下の文はなんらかの科学的見地に明確に基づいているわけでもなく、あくまでこの文章の書き手の個人的かつ極めて主観的な意見であることを留意されたし。)

 荒川区の職員の話では「幸福実感度」は「健康・福祉指標」を筆頭に、次いで「安全・安心指標」が強い相関を持ち、逆に「文化」や「環境」はさほど寄与しないという話ではあったが、ここでふと、マズロー欲求段階説を想起してみた。人間の欲求は下層から、生理的欲求(=健康・福祉)、安全の欲求(=安全・安心)、所属と愛の欲求、承認の欲求、自己実現の欲求(=文化や学問の領域)と成っており下層にある欲求ほど、GAHにおける幸福実感度との相関が強いことがうかがえる。このように一見した所ではあるが、幸福実感度の領域とこの欲求段階説がなんらかの関係も持っているのではないかと思った。
 そこで私は欲求段階説の多層性に着目してみることにした。すなわち、「幸福」はマズロー欲求段階説に従って「層的」に積み上げられていく側面があるのではないか、ということである。これは簡単に想起することができると思うのだが、健康ではない状態で家族や恋人に気持ち良く会ったり、趣味にうちこむことは可能であろうか。幸福状態になれるだろうか。否。肉体の苦痛は何をするにもついてまわるため、何よりも解決すべきは肉体の健全性なのである。これは感覚的に理解できることだと思う。つまりは、肉体の健全性という「幸福」が達成されたうえで、ようやく次の段階にある「幸福」に手を延ばすことができるのではないだろうか。これが真であるならば、"優先すべき"幸福の領域は自ずと立ち現れてくる。それはあらゆる欲求を達成するための礎となる「生理的欲求」に位置する「健康(福祉)」の領域である。兎にも角にも、まず第一に「健康」状態を獲得することがそのほかの「幸福」に至るための必要不可欠な条件なのではないのか。
 それはさておき、もしもマズロー欲求段階説に従って幸福が「層的」に獲得されていくのであれば、人類が究極的に追い求める幸福(そんなものがあるかどうかは定かではないが)は、この欲求ヒエラルキーの頂点に位置する「自己実現の欲求」にあるのではないかと考えた。そして我々はこの「自己実現」のことを往々にして「夢」と呼称しているではないか。……そういえば、と私が思い出すのは、幼きころに「夢」と呼んでいたものである。特撮ヒーローのギンガマンにはじまり、パイロットに電車運転士、プロ野球選手になりたい、などと思っていた時期もあっただろうか。あの頃は確かに毎日が幸せで、怖いことと言ったら門限を過ぎて帰宅する時ぐらいだったものだ。それはきっと無限の可能性を感じていたからである。それが今となっては己の限界を知り、狭まった可能性の中で現実と向き合うことを余儀なくされている。だが、悲観することはない。本質は、宇宙飛行士だの芸能人だのその肩書きにあるのではないと思うのだ。「夢」という概念そのもの、さらに言えば「目標」に向かって「努力」する瞬間にあるのだ。私は、なにも「夢」などとたいそうに呼ばなくても、「目標」に向かう活動(特に知的探究活動)に他の欲求(食欲や肉欲や承認欲)とは異なる一線を画した幸福感というか至福感を見出すことができるように思うのだが、どうであろうか。そうであるならば、「夢」や「目標」を持つことは「幸福」になるためにはあながち間違っていない、ということにはならないだろうか。(もっとも、「夢」という究極目標に至るためには前述した段階欲求を満たすことがあろうが……)

 私は幸福の性質を「点」的なものとして認識していたが、実は我々が幸福と呼ぶものの多くは「層」的に積み上げられた上にあるものであるのではないか。要は、「幸福は層的に構成されている」のではないか、ということが言いたかっただけである。
 折角なので、それでは最後に、この欲求段階説に従った私の幸福プランニングを発表しようと思う。
 私が提示する幸福状態とは…まず「健康」であり、「治安の良い」国や地域に住み、「家族」の一員として相互愛を享受し、社会的に成功して一定の「地位」をおさめ、「夢」を持っている人間になることである。これを参考にぜひ幸福を掴んで下され。

広井ゼミ本格始動 後半

4月23日に行ったゼミの後半部分について報告します。


後半では、4つの文献について各チームで話し合った内容を発表し質疑応答が行われました。

まずAチームでは科学と経済は相互依存的であるということから、2045年問題についての議論が交わされました。
2045年問題とは、科学技術が技術的特異点を迎えて人間の集合地を超えてしまうようなコンピュータが生まれ、
人間が不要になってしまうのではないかという問題です。人間には情緒があるから、介護分野などでは人間の重要性は失われないといった意見や、人間が完全に労働から解放されることにより「楽園のパラドックス」に陥り、超格差社会が生まれるといった意見もありました。ロボットに政治を任せることについての是非についても話し合われました。

Bチームでは、過去や文化の重要性について話し合われました。なぜ過去(歴史)は重要か、を主題に様々な意見が交わされました。今を知るためであるとか、過去が人のつながりをつくるであるとか、自分が生きている文化・文明は過去からの積み重ねであるとか様々な意見がありました。また、一貫して過去はあまり重要ではないという考え方のもと議論しているゼミ生もいて非常に密度の濃いものになりました。

Cチームでは、円環的時間について深く話し合いました。円環的時間には実感がわかないというものでした。そして、自分が死んだ後に未来が本当にあるのか、自分が生まれる前に過去は存在していたのかなどかなり根源的な問いを提起する意見がありました。
どこまで賢くなればいいのかということに関係して、個人的には勉強時間と自殺率の関係(学力No.1の秋田県は自殺率もNo.1)の関係について興味を持ちました。

初回のゼミながら、広井先生がおっしゃってたように根源的な問いが多い内容となりました。
次回のゼミは荒川区役所に行きます。
(記:上野代省太)


広井ゼミ本格始動!

ここは千葉大学法経学部総合政策学科、広井良典ゼミナールのブログです。週に一回のゼミでの議論を積み重ねていき、それを広くご覧いただくことを旨としています。
ゼミ生は13名、毎週1回、2~3時間ゼミを行います。
 
今日のゼミは課題図書四冊に関する議論でした。
本川達雄『生物学的文明論』新潮新書
手塚治虫火の鳥・未来編』
広井良典「ポスト成長時代または人口減少時代における科学と知」『科学』
ブータン王女スピーチ
 
これらの文章の
1)印象に残った点
2)主張に対する賛否
3)考え方を応用した提案(総合政策)
について議論を行いました。
 
1)持続可能な発展とは、循環を基本にすること。発展しすぎると破綻する?
経済的な発展を止めなければ地球環境が破綻する←→人間の欲望は止められない
→核問題と似た構図がある
時間環境問題=エネルギーを消費する事で、時間を短縮している。
ゾウの時間・ネズミの時間」から見て、人間は生物としての時間感覚を超えて生きている。絶対時間という考え方の転換。
「確かに、小学校の夏休みは実感として長かった。」
 
2)生態系も市場経済も"効率性"を基本にしているのであって、生態系に見習うべき、という①の主張はその点を考えていないのでは?
発展を止め、昔の生活の戻せ、という主張になってしまうのであれば、また発展の歴史が繰り返されるだけだろう。
 
GNHが広がらないのはなぜか。
人工生命体としての老後の意味・・・コンセプトはわかるがどう実践するのか。
 
3)循環させることを「発展」と見る? 江戸の経済は循環していた?
→政策目標に用いる指標を変える?
時間環境政策(余暇政策)
時計を使わないという社会実験?
(記:今井隆太)
 
 
どなたでも、質問やコメントなどお待ちしています!